鹿児島大学大学院 医歯学総合研究科 心臓血管・高血圧内科学

X (旧Twitter)

Department of Cardiovascular Medicine and Hypertension, Graduate School of Medical and Dental Sciences, Kagoshima University

講座について

教授ご挨拶

教授ご挨拶(バックナンバー)

2016年1月掲載

理想の医師像を目指して
心臓血管・高血圧内科学分野教授 大石 充

あけましておめでとうございます。鹿児島で3度目の正月を迎えました。医局員一同今年もよろしくお願いいたします。来年には新専門医制度が始まります。インターン廃止、新研修医制度に続く大きな改革であり、うまく乗り切らないと地方大学は大変なことになると思っています。しかし根っからのポジティブシンキングな私としては、これは大きなチャンスになるぞって密かに思っています(根拠はまたの機会にアップする予定)。新年の御挨拶の代わりとして、今年の業績集巻頭言に書かせていただいた内容に(〆切りが厳しくて書ききれなかった分を)少し手を加えて、私が今何故ここにいるんだろう、これからどこへ向かおうとしているのかっていう雑感を残してみます。

新研修医制度が開始となって、特に地方に残る医師が少なくなってきており、この時期にはリクルート活動が過熱してくる。若い研修医の皆さんと飲む機会が自然に多くなってくるが、「どんな医師が理想なの?」って訪ねると「どんな病気にも対応できて、救急の時も処理できて、高度医療も出来て・・・」といった答が返ってくることが多い。Dr.コト-+スーパードクターK+ブラックジャックといったところだろうか?私が彼らの年代の時に同じことを聞かれたら同じように答えるだろう。むしろさらに欲張って医龍や仁や赤ひげ先生もつけているかもしれない。でも現実は「ただの医師」に毛の生えた程度である。

どこで理想と現実がズレてしまったのか自分自身で検証をしてみたい。私が医師を志したのは中学2年生の時であった。友人の弟が身体障害者で、いつも友人が面倒を見ていた。あるとき弟さんが風邪をこじらせて22件の救急搬送たらい回しの後に肺炎で入院したことを聞かされた。「仕事なのに何で?」という強い思いと共に「自分が医師になってそんな人を一人でも多く助けよう」という強い思いで医学部を目指した。純朴で多感な少年であった。高校に入るとさらに妄想は膨らんで、「無医村に行ってお金の代わりに自宅で取れた大根一本で診療をしてあげる赤ひげ先生」が目標となった。大阪大学医学部に入っていろいろな友人との出会いの中でもこの信念は変らなかった。苦労して晴れて医師となったのが平成2年である。自由な雰囲気の第4内科に入局をする。そこで医療の現場を目の当たりにした。心カテを見る。先輩の側にいて見よう見まねで救急に対応する。ナマの医療に感動して、「これは勉強しなければ患者さんに申し訳ない」と思いがむしゃらに勉強した。学生時代にもっと勉強しろよ!と自分で自分に突っ込んだ。いろいろな体験の中で最も心に残ったのが急性心筋梗塞の病態であった。死にかけた人が歩いて帰っていく。医者になった気がした。そこで大阪で最も循環器救急を取り扱っている桜橋渡邊病院で心カテを交えて修練を積んだ。自分の右手で患者さんが生き返る体感を通して医師としての充実感を味わっていた。私は病院の病理係でその時の病理解剖医が後の恩師の大阪市立大学病理学教室上田真喜子教授であった。当時最先端のPTCAをしていた私に「自分のしている治療を実際に見てみない?」と誘われて血管病理を学位研究として選んだ。実際、CAGと病理の対比など自分の肥やしとなる経験が積めた。それ以後は研究をして留学をして、挙げ句の果てにはPCI⇒血管病理⇒高血圧(一部認知症)と流浪の医師・研究者人生を歩むことになるが、40歳を超えて、なおも勉強の日々を与えてもらったとも言える。お世話になった人に対してNOと言うことが出来ずに「うーん」と多少首をかしげることはあっても最後は言われたとおりの道を歩んだ。ただし、一つだけ決めていたことがある。与えられた環境でベストを尽くすことである。どのような環境下であっても自分磨きをすることはできる。さらに医師はサービス業であり、医療技術は単なるツールであること、研究は新しいことの発見や疑問の解決が目的であって自分のプロモーションの道具ではないことを自分の信念としてきた。周りが勝手に道を作ってくれたのかもしれない。

循環器内科の教授となった現在は私の理想としていた医師像とはかけ離れた姿となっているが後悔は全くない。もう一度人生をやり直せたとしてもやはりカテマンを選ぶだろうし、血管病理もしっかりとしたい。唯一違うところは学生時代にもっとしっかりと勉強をすることだけだと思っている。そして出来うることなら鹿児島のために働いていたいと思っている。さらに現在も未来も理想としている医師像は「赤ひげ先生」である。理想とは乖離があるが、これが現実である。何故ズレているのか?医師になって現実の患者さんを目の前にしたときに自分の全く知らない世界が開けたからである。自分の治療でダイナミックに回復をしていく姿やそれを血管病理で検証していく基礎研究環境、さらには自分の治療の妥当性を検証する臨床研究など、赤ひげ先生では得られない世界が私を魅了したのだ。もちろん赤ひげ先生スピリットは忘れていないつもりである。

私の仕事は「教えを授ける」ことである。若い人たちに理想の医師像を持ちながら現実のすばらしい循環器内科医としての臨床の世界や基礎・臨床研究の魅力と必要性をきちんと教えてあげられているのだろうか?若者たちの理想の医師像を現実に合わせながら熟成させてあげることが出来ているのだろうか?若い人たちの理想は実現困難なことも多いが、そのスピリットは大切にしてもらいたい。そのスピリットを持ちながら現実の医療の現場で最大限の力を発揮してもらえるように導くのが我々の仕事である。もちろん、鹿児島循環器医療の充実の為に、一緒に汗を流してもらえたらこの上ない喜びであるが・・・